七五三の由来を知ってお祝いしましょう!

七五三お祝ひの図

初心者が半年で着付けデビューを目指せる、
着付け塾・きもの美人道*ひとみです。

着物に初めて触れるきっかけになるのが、
「七五三」ではないでしょうか?

今では子ども専門写真スタジオもたくさんでき、
神社へお詣りする日の前後に撮影をする
「前撮り」「後撮り」
も定着しましたね。

七五三は、
決めることがたくさんあって大変ですよね。
「日にちはいつにする?」
「お詣りはどこで何時に?」
「衣装は?」
加えて、両家のおじいちゃま、おばあちゃまも
お招きして会食されるご家族さまもいらっしゃるでしょう。

でも・・・その前に、ご存知ですか

  •  そもそも七五三てどんな意味があるの?
  •  本来は11月15日って、誰が決めたの?
  •  なぜ、3歳、5歳、7歳?
  •  男女で祝う年齢が違う意味は?

・・・・・

意外に、ご存知ないままにしていませんか?

そこで、<きもの美人道>から、
七五三の由来についてお伝えします!
子供は国の宝!
七五三の意義を再認識して、一緒にお祝いしましょうよ♪

1.そもそも七五三てどんな意味があるの?

平安時代においては、3歳の男女がおこなう、
それまで剃っていた髪を伸ばし始める
「髪置きの儀(かみおきのぎ)」

そして57歳になると初めて袴を身につける
「袴着の儀(はかまぎのぎ)」あるいは
「着袴の儀(ちゃっこのぎ)」
という儀式がありました。

いずれも、子供の成長をお祝いするものであり、
子供にも大人になる意識を持たせる、
通過儀礼の意味合いもあるものです。

昔は、衛生事情も悪く、飢饉、干ばつなどの自然災害もあり、
まして医療も未発達でしたから、
悲しいかな、成長半ばで途絶える命も多かったのですね。

*江戸時代の平均寿命が30代〜40代とされているのは、
誤解されやすい数字で、
あくまで0歳児が生きられる確率として、ということだそうです。

いずれにしても、子供が大人に成長するまでの確率は、
現代からは考えられないほど低かったことを思うと、
七五三のお祝いは、単なるお誕生日会の比ではないでしょう。

 

 

2. 七五三は11月15日って誰が決めたの?

2−1 最上吉日!
陰陽道では、11月15日が年中で最も良い日、
つまり最上吉日に当たるとされています。

2−2 なぜ11月?
それは旧暦(太陰暦)において、
11月は「冬至を含む月」とし、
そこから干支も月ごとに割り当てされます。

干支の最初の「子(ね)」の月は11月だからというわけです。

2−3 15日のわけ
そして、旧暦(太陰暦)は、
1日が新月で15日がほぼ満月になるサイクルですので、
子(ね)の月の最初の満月の日>を、
最上吉日としたわけです。

*満月のとき、太陽と月は180度の位置関係になり、
地表面が平常より浮き上がるそうです。
満潮で、ウミガメの産卵もおこなわれるように、
自然のエネルギーが満ちるときですね。

神社の月次祭が、今でも、
1日と15日に行われているのが旧暦(太陰暦)の名残です。

また、1+1+1+5=8
数霊(かずだま)から言っても、
末広がりの八は、大いなる発展・おめでたい数ですから、
子供の成長を願う心に叶うものであります。

日本人なら誰でも、次はいつ満月か知っているくらい、
自然のリズムと密接な生活であったろうと思われます。

時と場所を選び、通過儀礼を執り行う。
それは、自然への畏敬の念と、
調和無くしては考えられないものですね。

徳川家光の嫡男、
後の徳川綱吉公の「袴着の儀」を
11月15日に執り行ったことから、
11月15日に子供のお祝いをするのが定まったものと言われています。

今では11月15日に関わらず、
神社では10月下旬から11月中に受け付けています。

3. どうして、三歳・五歳・七歳?

「髪置きの儀」

「男女の3歳児に,それまで髪をそっていたのをやめて,のばしはじめる儀礼。
カミタレ,カミヨケ,カミタテなどともいう。
髪置の儀は,鎌倉時代から室町,江戸時代まで行われ,
公家では2歳,武家では3歳の1115日に多くは行われた。
庶民の間でも23歳にカミオキの祝いといって,
1115日に産婆や近隣を招いて,頭の頂上を円形にそったり,
両耳のはしに垂髪を残す儀礼が大正時代まで行われており,
うどん,そば,すし,甘酒などをご馳走し,産土神へまいった。」

(出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について より)


子どもは3歳までは神様からの預かりもの

子供の生存率が低かったことはご存知の通りですが、
仏教の思想では、
「子が親に先立つことは親不孝」とみなされ、
極楽へいけないとされていたため、
「子どもは3歳までは神様からの預かりもの」とし、
神様へお返しした、という形をとったそうです。

平安時代には男女とも、3歳を無事迎えられると、
それまで髪を剃っていたのをやめ、
人間の子として髪を伸ばし始めました。<
また、鎌倉時代には、
着物を着る際に紐ではなく
帯を結ぶようになることをお祝いする
「帯解の儀(おびときのぎ)」
という儀式が執り行われていました。

「袴着(ちゃっこ)の儀」「袴着の儀」

江戸時代になると、
髪置きの儀が男女における
3歳のお祝いとなり、
「袴着の儀」が、
男の子のみの風習として制定されました。

*天皇家では平安時代より、
新宮(若宮)が数え年5歳になりますと、
天皇から贈られた袴を初めてつけます。

東宮大夫が新宮の髪に櫛をあて、
鋏を入れる所作をなさり
髪が豊かに生えるようにと祈ります。

新宮は、鴨川の青い小石を二つ並べた碁盤に乗り、
石を踏みつけてから「えい」と
掛け声をかけて南へ飛び降り、
儀式は終了となります。

(2011年11月には、悠仁様の着袴の儀の様子が放映されましたので、
検索いただければ画像はすぐ出てまいります。)

 

「帯解(おびとき)の儀」

「帯解きの儀」は、
古くは宮中の「御帯解御祝」(おんおびときおいわい)
が発祥とされ、
「帯解」とは、七五三のお祝いをする女児の両親に、
お祝いの金品を贈るときの上書きに用いる言葉です。

子供の着物には付け紐がついており、
着付けも紐を結ぶだけの簡易なものですが、
帯を締めて大人の仲間入りを祝う
「紐落とし」の儀式が鎌倉時代にありました。

室町時代では
男女ともに9歳で行われていましたが、
このような室町時代からおこなわれていた儀式が、
江戸時代になると、
武家や裕福な商人たちの間でおこなわれるようになり、
江戸時代末期から男の子は5歳の「着袴の儀」となり、
女の子は7歳になるとおこなうように変わり、
この時から花嫁修行を始めるタイミングでもありました。

明治時代にはこれらの3つの儀式をまとめて
「七五三」と呼ぶようになりました。

そして徐々に庶民の間にもこのようなお祝いごとが広まり、
今の七五三を形作りました。

『七五三祝ひの図』(三代歌川豊国)に、
七五三のお祝いをする家族が描かれています。

 

まとめ

七五三の意味することをお判りいただけましたか?

1.そもそも七五三てどんな意味があるの?
2.もともとは11月15日って誰が決めた?
3.なぜ3歳、5歳、7歳?

古くは宮中儀式であったものが、
武家社会に取り入れられ、
そして、庶民へも定着していったのですね。

身分や立場は違えども、
子を思う親心と社会的意義は、
時を経て受けつがれてれてきたのです。

お子様方の成長と、
子育てを応援する世の中でありますようにと願っております。

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